霞城公園(かじょうこうえん)旧済生館本館

 

 

   

 済生館は、1878年に山形県立病院として建設されたもので、当時の山形県令三島通庸の「山形の近代化を図る」という構想のもとに竣工し、東北地方で最も早く西洋医学を取り入れ、診療の他に医学校が併設され、オーストリア人医師ローレツを金沢医学校から招聘した。
中庭を囲んで病室を円形に配置し、正面の塔屋は三層構造の独特の形態になっている。 当時の人々は、この建物を親しみをこめて「三層楼」と名づけ、1階の正面玄関は八角形のポーチ、2階は正十六角形の大広間、さらに螺旋階段で3階の八角形の小部屋に通じ、それぞれの階にベランダを配した構造になっている。

 

撮影:2013.2.13