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鶴ヶ城(つるがじょう)会津若松
南北朝の頃、葦名氏によって築かれた黒川城は、1592年蒲生氏郷によって七層の天守閣を築き、城郭は甲州流の縄張りを用いて整備し黒川の名を若松と改め、城の名を鶴ヶ城と命名した。 1639加藤明成は七層の天守を五層とし、北馬出、西馬出を北出丸、西出丸に改築し現在の形態となった。 明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成13年には天守閣に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法・技術を用いて復元されている。
「鶴ヶ城」は、白虎隊士も見た赤瓦の天守閣」