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茶室麟閣(ちゃしつりんかく)
1591年千利休は、豊臣秀吉の怒りに触れ死を命じられ、利休の茶道が途絶えるのを惜しんだ当時の会津領主が利休の子少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に願い出た、その結果秀吉の怒りが解け、少庵は京都に帰って千家を再興しました。 戊辰戦争で会津藩が敗れ若松城が取り壊される際、城下の茶人森川善兵衛は貴重な茶室が失われるのを惜しみ、1872年麟閣を自宅へ移築し120年にわたりその保全に努めた。2000年に鶴ヶ城内の元の場所に移築された。