撮影 :2015.02.13 南北朝の頃、葦名氏によって築かれた黒川城は、1592年蒲生氏郷によって七層の天守閣を築き、城郭は甲州流の縄張りを用いて整備し黒川の名を若松と改め、城の名を鶴ヶ城と命名した。